平成20年 1月14日に取り上げました
郷原神社の記事でも少し触れました、郷原城について、今回は取り上げたいと思います。
左の写真は、郷原神社の南から、右の写真は長野電鉄の跨線橋より城地(写真の中央付近)と考えられるところを撮影しました。
郷原城は、延元年間(1336年から1339年・北朝 建武3年から暦応2年)に南朝方の
郷原越後守直衡が築城したといわれている城で、城地は現在の旧小布施村から旧都住村にわたる大規模なものであったといわれております。
郷原城には、
郷原越後守直衡、直衡の兄である毛利匡時(宮内少輔)、子である直勝と三代約50年にわたって、その勢力下としていたといわれております。
郷原越後守直衡、毛利匡時の兄弟は、南朝方で活躍した人物であると頼山陽の日本外史にも少々触れられているのですが、どういうわけか直勝以後、現在の長野県塩尻市に移り住んだ郷原氏の後裔に伝わる文献以上の情報が表に出てきてはおりません。
郷原氏に伝わる文献の一部は「上高井郡誌」(大正 3年発行)に掲載されているのですが、現在の小布施町の歴史が多く掲載されている「小布施町誌」には郷原城に関しては触れられていない状況です。
上記の上高井郡誌によれば、郷原神社の東と南に家来の館があり、神社の西南に堀で囲まれた郷原氏の館があったといわれております。
また郷原神社の北を流れる日野井川(篠井川)、現在の小布施町北岡から押羽に至る
堤淵を自然の堀としていたとのことです。
堤淵に関連しまして、写真中央のやや上の微高地が小布施町押羽地籍です。
また郷原氏の家来の姓は、次のとおりです。
長尾、高橋、小布施、上條、高井、和田、小松、秋山、平林、田中、赤羽、小林、田口、丸山、大島、酒井、北原、熊谷、赤沢、百瀬、小沢、牛丸、大和、保科、竹下、井上、手塚、三村、有賀、武下、臼井、村上、下條、石田
謎の多い郷原城です。もっと文献があれば良かったのですが。
[アクセス]
郷原神社 長野電鉄長野線 都住駅 徒歩10分
長野電鉄長野線 小布施駅 徒歩15分
小布施浪漫号(町内周遊シャトルバス) 小布施駅前バス停 徒歩15分
posted by 身近な歴史社 Alzada at 00:05
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小布施町
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